大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)1145号 判決 1964年6月22日

控訴人 株式会社泉州銀行

被控訴人 藤波信子 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、原判決を取消す、被控訴人等の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする旨の判決を求め、被控訴人等代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出援用認否は、控訴代理人において、本件当座取引開始に当つては、当時の控訴銀行堺支店長肥塚俊三の小学校時代の学友訴外片山博が、被控訴人等の代理人として、仮に代理人でなかつたとしても表見代理人として肥塚と交渉したのである。すなわち肥塚は片山から昭和二九年二月下旬桑原孝夫を紹介され更に被控訴人藤波との本件取引の二日前には高本定信と小県清とを紹介されている。一方被控訴人藤波は、昭和二九年三月六日右高本が予め小県に、小県が久賀に、久賀が寺井に依頼していたので、寺井から頼まれて、控訴銀行の堺支店と当座取引をするに至つたのである。取引当日は片山と桑原が先きに堺支店に来て後刻小県、高本、久賀が被控訴人藤波と共に来たのでいづれも応接室へ通し取引は支店長席でした。その際片山が支店長席に来て肥塚に当座取引に必要な書類を請求したので、当座勘定約定書、印鑑届用紙、小切手請求書を渡すと片山は応接室へもつて行き書き損ねたからとてもう一枚宛受取つて記入の上肥塚に渡した。右書類が藤波または寺井から直接肥塚に交付せられた事実はない。この時既に被控訴人藤波の記入したものと片山が書き込んだものとはすり替えられていたのであるが、肥塚はこれを知る由もなく片山の記入捺印したものを受取り、肥塚が小切手帳と入金帳とを一部宛渡そうとすると、片山が取引関係が多いから小切手帳を二冊くれというので二冊渡したまでである。肥塚が直接被控訴人藤波に交付したものではない。要之被控訴人藤波は寺井を通じ久賀に、久賀が小県に、小県が高本に、高本が片山に当座取引の手続を委し、片山は藤波の代理人、仮に然らずとするも表見代理人として書類を作成し、控訴銀行と契約したもので、肥塚は被控訴人藤波が作成したと主張する当座勘定約定書、印鑑届、小切手請求書等を受取つたことなく、却つて藤波の代理人である片山が作成した前記書類を受取りこれによつて取引を契約したものである。次に同年同月二五日被控訴人姫島との取引のときも、前記藤波の時と略同様片山が姫島の代理人または表見代理人として行動したものであり肥塚は姫島や久賀と直接書類のやりとりをしたものでなく、両日とも肥塚において片山等が悪事を謀つていることは全く想像しなかつたのである。昭和二九年三月四日肥塚が片山、桑原、高本、小県等四人から酒色の響応を受けたときは、片山、桑原から預金者を紹介するとて高本と小県を引合され、外にも大口預金を斡旋すると聞かされたまでのことで片山等の行動に疑をかける節もなかつた。

次に被控訴人等の預金がいづれも預金当日しかも土曜日であるのに一二時を過ぎて引出されている点であるが、何れの銀行でも一二時にも表門は閉めても、既に銀行の内部にいる人や時間におくれて裏口から入つた常得意先には便宜を計るものであつて、預金引出しは小切手に届出の印が押されておれば、出納係は小切手と引換に払戻しをするのは当然で別に不思議はない。

なお当座預金の払戻しは出納係が扱うもので、支店長の係でなく、払戻しに支店長の肥塚の過失ありとするのは誤である。以上の通りであつて被控訴人等は、当座預金は無利息であることを知りつつ各二、三ケ月も引出さぬ条件で、控訴銀行堺支店とは遠距離に居住しながら敢えて堺迄取引に来たのは、紹介者を通じて片山等から多額の利息に相当する謝金を受け、その間は当座預金を自由に片山等に使用させる契約があつたと推認できるのであつて、被控訴人等にこそ片山等の犯行を黙認して容易ならしめたか、少くとも過失があつたと推認すべきもので責任は被控訴人等にあるといわねばならぬと述べ、当審証人肥塚俊三、同高本定信の各証言を援用し、被控訴人等代理人において、控訴人の当審における主張はこれを争う。控訴人の主張によれば、被控訴人等と控訴人間の当座預金契約締結に当り、控訴人は当座勘定契約書、印鑑届、小切手請求書、当座小切手帳を各二通宛求めにより片山に交付したが当座勘定入金帳は各一通宛しか交付していない。この入金通帳は被控訴人両名が各自保管しているのであるから他には存在しえないわけである。そして被控訴人等はいづれも各契約日にそれぞれ金七〇万円と金一〇〇万円を控訴銀行に入金したことがあるだけでそれぞれの入金通帳には右各一回の入金の事実のみが記入されている。

然るに控訴人の主張によれば、被控訴人藤波につき右七〇万円以外に六回に亘り合計五四万一〇〇〇円の、被控訴人姫島につき右一〇〇万円の外二回合計四一万二〇〇〇円の入金が行われていることになつている。被控訴人等の所持する入金通帳を使用せずにしかも控訴銀行に気付かれずにどうしてこのような入金ができたのであろうか。おそらく現金の入金があつたのでなく控訴銀行の帳簿上入金があつたように記載だけが行われたにすぎずこの部分の引出しは、控訴銀行自身が被害者であろうが、このようなことは控訴銀行支店長肥塚の協力なしにはできないことである。右の点からしても肥塚は片山等の犯行に協力したものと認めるのが相当であると述べ、当審証人久賀一衛、同寺井政雄の各証言を援用した外はいづれも原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。但し、原判決二枚目裏五行三枚目表一行九枚目裏八、一〇行に高木とあるを高本と訂正し、同七枚目表五行証人の次に小県清を挿入し、同五行から六行にかけ原告本人(二回)とあるを原告両名各本人と訂正し、六枚目表七行目原告とあるを被告と訂正し、一〇枚目裏乙第一乃至四号証の各一、二とあるを乙第一、三、四号証の各一、二同第二号証と訂正する。

理由

被控訴人両名が控訴銀行との間に当座預金契約を結び被控訴人等主張の通り控訴銀行堺支店に当座預金をした事実は当事者間に争はない。

控訴人は、右各預金はその後被控訴人等の払戻請求により原判決末尾添付第一、二表記載の通り払戻し現在被控訴人藤波分として金四五五七円、被控訴人姫島分として金六〇〇〇円の残額が存するのみである旨抗弁し、控訴銀行の帖簿として成立を認めることのできる乙第一号証の一、二乙第二号証には右抗弁事実に副う記載があるけれども、右は後に説明するように訴外片山博等が導入預金を預金者不知の間に偽造した小切手(被控訴人藤波につき乙五号証の一乃至一四、同姫島につき乙第六号証の一乃至一二)を行使して払戻し金員騙取の目的を遂げたことに由来するものであつて、右記載によつては本件各預金が被控訴人等により払戻された事実を認定することができない。むしろ却つて成立に争のない甲第一、二号証の各一、二と原審及び当審証人寺井政雄、同久賀一衛、原審証人小県清の各証言並に原審被控訴本人各尋問の結果を綜合すれば、被控訴人両名は右当座預金を預けたまま一回も払戻した事実がないことが認められる。

控訴人は、被控訴人等の右各払戻しは、契約当初から被控訴人等の代理人、仮に然らずとするも表見代理人として契約締結に当つた訴外片山博が代理人または表見代理人として為したもので、同人に代理権ありと信じた控訴銀行においてその払戻しに応じても、それは被控訴人等に対する払戻しとなる趣旨の抗弁をなしているが、この点につき右控訴人の抗弁事実を認めるに足る証拠なく、むしろ却つて後に説明する通り、被控訴人等は当時片山博なる人物を知らずこれに何等かの代理権をも与えたものと認められないから結局控訴人の右抗弁は失当である。

次に控訴人は、被控訴人等は本件当座預金契約を締結するに当り、当座預金の引出は控訴銀行より交付の小切手用紙をもつてすること、小切手に使用する印章は予めその印鑑を控訴銀行に届けておくこと、右届出の印鑑に照合し取扱上普通の注意をもつて相違なしと認めて支払を了した小切手は盗用、変造その他事由の如何に拘らず損害を生じても控訴銀行は責を負わないことの条項を承認しており、右各預金払戻しに用いた小切手は控訴銀行から交付した用紙に被控訴人等が届出た印鑑届の印を押してあつたので、控訴銀行は右小切手を正当なるものと確信して支払つたもので、被控訴人等が損害を被つても控訴銀行において責を負わない旨抗弁するから按ずるに、後にくわしく認定するように、乙第三、四号証の各一、二(当座勘定規定承認書と印鑑届)は、被控訴人等がこれと同一の承認書に署名捺印し且つその印鑑を届けようとしたものとすりかえられたもの、すなわち被控訴人等の意思に基き差入れられたものではないが、すりかえ前の承認書とすりかえ後の承認書とが同一内容のものであり、その承認書の内容の記載に控訴人抗弁のような条項の記載がある以上、すりかえ前のものに署名捺印した被控訴人等は本件当座預金契約に際し、控訴人抗弁のような条項を承認したものと認められ、また前記本件当座預金払戻しのために用いられた乙第五、六号の各証の印はそれぞれ乙第三、四号証の各二の印と同一と認められるけれども、翻つて本件当座預金契約の行われた前後の事情につき、成立に争いのない甲第一、二号証の各一、二(当座勘定入金通帖と当座小切手帖)同第三号証の一、二同第四号証(各名刺)乙第七号証(肥塚俊三の供述調書)、原審証人小県清、原審及当審証人久賀一衛、寺井政雄の各証言(以上いづれも一部信用しない部分を除く)鑑定人荒木久一鑑定の結果、原審における被控訴人両名各本人尋問の結果(一部信用しない部分を除く)原審及び当審証人肥塚俊三の証言、当審証人高本定信の各証言を綜合すると、次の事実が認められる。

本件は訴外片山博と桑原孝夫とを主謀者として各地の銀行を舞台として行われた多数回に亘る犯行の一環をなすものである。片山等は先づ犯行を容易にするため控訴銀行支店長肥塚を籠絡すべく偶々片山が支店長と小学校時代の同窓生であることを奇貨としてこれに近づき、多額の預金をする旨ほのめかし、昭和二九年三月四日片山、桑原の外高本定信を通じて知合つた導入屋の小県をも加えた四人で肥塚を大阪市内の某旅館に招待して酒色の饗応をした。小県は久賀、寺井等をして導入預金に応ずる預金者として被控訴人等を募り、被控訴人等には高金利に当る謝礼を餌として預金せしめることとした。被控訴人等が預金した当日は片山が先づ控訴銀行堺支店を訪ね、支店長に対し小県等が預金者を連れて来ると告げておき、被控訴人等はそれぞれ前記各日時前記各金額の当座預金をなしたものである。その際被控訴人等や寺井、久賀にとつて未知の片山博は、終始銀行員であるかの如く装うて本来銀行員以外には預金者、またはその代理人乃至使者のみが手にすべき預金関係の書類差し入れの手伝いをした。すなわち被控訴人等や久賀、寺井は同支店の応接室で片山を介して持込まれた当座勘定約定書と印鑑届の用紙に各被控訴人の氏名を記載して捺印した(被控訴人藤波の分は寺井が代書し久賀の印を借りて自己の印として捺印し、被控訴人姫島の分は久賀が代書し同被控訴人が自己の印を捺印した)。この間に片山は秘に肥塚に対し書類を書損じたと告げて同一書類の再度交付を受け、乙第三、四号証の各一、の当座勘定規定承認書を被控訴人両名名義でそれぞれ偽造し、且右各証の各二の印鑑用紙に偽印を押捺しておき、前記被控訴人等が作成した書類とこの片山が勝手に作つた書類とを被控訴人等及び肥塚等不知の間に巧にすりかえて肥塚に提出し、なお預金は直接被控訴人等より肥塚に手交され肥塚において行員をして入金手続を了せしめた。そして預金者たる被控訴人等は各すりかえ前の約定書に押捺した印の押された入金通帖と小切手帖(甲第一、二号証の一、二)とを片山を介し支店長から交付を受けた。別に片山は支店長に請うて小切手帖一冊を交付されている。支店長席と応接室は二間半位の距離で応接室はガラス張りの部屋で支店長席からよく見える位置にある。なお前記の通り被控訴人藤波の分は五〇万円被控訴人姫島の分は六五万円が各預入当日片山等によつて同人に交付せられた小切手帖(乙五、六号証の各証)を利用して払戻されたものであるがその日はいづれも土曜日であり一二時を過ぎて払戻しがなされた。

以上の認定に反する前記各証人の証言部分及び被控訴人等本人の供述部分はいづれもたやすく信用し難い。そして右の如き大胆にして巧妙なる犯行が遂げられたのは、控訴銀行堺支店長肥塚俊三が片山等いかがわしい者の饗応を受け、これらの者が店内に跳梁するのを防止せずその跋扈を許したところに禍根が存するのであつて、少くとも同人に重大なる業務上の過失あることが明らかである。而して預金払戻に関する控訴人援用の条項は本来銀行が払戻しに用いられた小切手等の印鑑と届印とを照合し善意且つ過失なくして払戻手続を行つた場合にのみ適用せらるべきものであつて、本件の如く若し銀行支店長が少しく注意を用いたならば、直ちに看破しえたであろうところの状況の下における不正行為により印鑑のすりかえが行われた場合、単に払戻しに用いられた小切手の印と届出印鑑(本件においては被控訴人等の意思に基く届印ではないこと明らかである)とが一致するということだけで払戻しの危険を預金者に負担せしめることをえないものといわねばならない。すなわち本件の場合は預金手続の施行そのものに銀行側に重大なる過失があり、銀行側で相当の注意を用うれば真実の預金者以外の者が勝手に払戻すものである事実が判明する筈のものであるから、このような重大な過失を伴う場合には到底控訴人において前記条項を援用すべき限りでないというべきである。よつて控訴人の右の抗弁は理由がない。

なお控訴人主張の被控訴人等は高利に相当する謝礼をえて、その預金を流用払戻されることを容認した旨の主張については、当審証人高本定信の証言の一部にそれに吻合するものがあるが、たやすく信用し難く他に右主張事実を認めるに足る証拠なく、また片山博等のかかる犯行を遂げたことにつき被控訴人等にも過失の咎むべきものがあるとするも、その程度は支店長肥塚のそれとは比較にならぬ程軽微なものと認められるべく本件は預金返還請求であつて損害賠償請求ではないから被控訴人等のかかる軽過失が斟酌せられることはない。

以上説明した通り控訴人の抗弁はいづれも理由なく、被控訴人等が本件預金の払戻しと控訴人に対する訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和三〇年九月一九日以降商法所定の年六分の割合の遅延損害金の支払を求める本訴は、理由あるものとして認容すべくこれと同旨に出た原判決は正当で本件控訴は理由がない。よつて民事訴訟法第三八四条に則りこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用し主文の通り判決した。

(裁判官 宅間達彦 加藤孝之 増田幸次郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例